自分の中で作曲する時のイメージって・・・
「音階の年輪のついた木材から,何かを彫り起こす」
そんな感じですな。
切り方や彫る角度は無限にあるし出来上がる彫刻(曲)の形も様々
・・・木材があれば彫刻できる。
つまり作曲は無限の形が存在すると言って良い。
まぁ,その作品が人様の耳を唸らせられるかどうかは別問題
やりたい物を作る。
自己満足なのだ。それだけぞ。
そんな訳で,作曲に飽きていないので・・・どんどん駄作が生まれるのである。
動画の作成は楽師の自分には手に負えない感じですぞ。
動画師さんを募集するのも大変そうである。
自分的には絵師さんを探して依頼するのも大変であると感じているのだ。
無断転載が横行すると・・・普通に動画を作りたいという人間にまで影響が
及ぶのだ。
他にも色々あるけれど,こういう事が多いと動画作りは辞めねばならぬやもしれないな。
あとは「立ち位置」の問題ですな。
「コラボ」の意味って・・・時々分からなくなる。
嫌になれば「音信不通」が出来る世界にはどうも馴染めない。
自分が音信不通になる時は,全ての作業が終わり,協力者に迷惑がかからなくなってからである。
動画ばかりやっていると,無性にメロディーが作りたくなることがある。
それは自分が楽師だからに他ならない。
イメージは一瞬を逃すと消えてしまうので,欲望のまま音作りに移行するのだ。
やはり歳と共に「みずみずしい感性」が失われていく気がしてならないのだ。
心を干からびさせず,感受性豊かに生活することが良いメロディーに直結すると信じている。
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