趣味のこととか
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2018/01/30
21:28:27
雪が降って、電車通勤する。プチ旅行気分を味わっている。何しろ、運転してるはずの時間を居眠りできたりする。雪の日以外にも電車通勤してみたい………

朝日と風に舞い上げられた雪に煙る畑

そして駅のホーム

出来立て音源をWALKMANで聴く贅沢
昇華出来そうな気がする………ってコトで。
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11:41:28
早いもので煩悩落とし紀行から帰って来てから1週間が過ぎた。仕事は忙しいけれど、以前のような追いつめらる感は軽減した気がする。
京都から高野山まで3時間かかるので早めに出た。到着日と打って変わってよい天気だった。



写真を撮りながら蛇腹道を通り、金剛峯寺を過ぎてバス停に着いた。そして橋本行きのバスに乗り換えて山を降りた。

行きは宿坊のチェックイン時間が4時までには行った方がよいと聞いていたので、京都の最終日観光はカットした。昼過ぎに着いた。夕方の新幹線までの間に観光をした。冬の京都は限定公開の寺社がある。
「天授庵」とにかく庭が素晴らしかった。



去年は、高台寺などを巡ったが、日本庭園の奥深さを改めて感じることができた。殺伐とした日常の中では、積極的に「癒し」を求めて行く必要がある。


やはり今回も南禅寺の山門に登って来た。いずれココも登れなくなる日が来る。自分が生まれる前からそこにあり、死んだ後もそこにあり続ける………ということに人生は短いのだと痛感する。

歳をとることは、誰しも同じだけれど、自分の趣味が自分の年齢とは合わないのが、とても辛いと感じている。楽しく作業していてふと鏡を見ると、場違いな自分を再認識する。
結局創作して、協業を謳うサイトで活動していても孤独なのだと感じてしまう。歌詞に「醜い」という文言が入った時点で気づかなくてはならなかったのだ。表現の自由は当然の権利である。しかし受け手の感想もまた自由である。

「ああ自分はそこに居場所が無いのかもしれない」

と気付きながらも、自分の表現の欲求が
止められないのだ。自分の煩悩の原点はそこである。
それを整理して文章にすれは、そこから自由になれるかもしれない……ってコトで。
19:47:18
奥之院を後にした。続いては金剛峯寺である。延暦寺と金剛峯寺はセットで覚えると中学で習った。
奥之院は確かに大事だけれど真言宗布教の本店とも言えるのが金剛峯寺。入ってすぐの場所にあるのが奥之院にたくさん生えていた杉の輪切り。軽くテーブルになる大きさだった。昨日に引き続き雪でとても寒かった。

撮影はできなかったが襖絵も見事だった。
お茶とお菓子が出たのを広間で頂いた。



とても広いのでとても寒かった。
庭も見事だった。龍安寺の石庭を思い出す雰囲気だが、何分にも雪が積もっている。
雪がない状態で見たいものである。
台所なども見た。寺というよりはゲストハウスのようだと思った。

金剛峯寺前の横断歩道を渡ってすぐ右にあるのが、大師教会である。


◯つおみたいな感じに説話がポスターになっていた。何枚かあったので一番自分がしっくりきたものを貼っておく。

1時間ごとに御授戒の儀式をやっている。
坐禅とはまた違った形の修業である。
受付で名前を言うと僧侶が紙に名前を書いている。待合室で待っている間高野山の修業の様子を写したビデオを見ていた。眠らずにお経をあげる様子がすごかった。眠さに耐えている修行僧の様子まで映っていた。30分は、あっという間に過ぎた。
待合室には二人しかいなかったが、予定通り行われた。僧侶がやってきて名前が呼ばれた。待合室から続く渡り廊下を通り僧侶について行った。真っ暗なお堂の中に入った。阿闍梨様という称号を持つ高僧に授戒して頂く。宿坊よりも更に暗い。僧侶が阿闍梨様の後について唱えるように言うので、唱和した。阿闍梨の声は朗々と深みのある響きで声明をとなえる。内容は盗まない。妬まない………など現代を生きる我々にも十分に伝わる内容である。そして名前を呼ばれて菩薩戒牒なるものを阿闍梨様から受け取った。本当に暗くて阿闍梨様の顔は全くわからなかった。コレで500円は、コスパが良すぎると言わざるを得ない。高野山という霊域で高僧に有り難いお経を読んでもらい。守り札まで頂けるという。
宗派は問わないそうなので参加されるコトをお勧めする。自分の念珠は宿坊の住職さん、阿闍梨様のお経を聴き、奥之院参りまでしてパワーを注入できたので煩悩落としの効果は期待できる気がする。その後は、
有り難い気持ちで大門まで歩いた。


前方には今年の干支の戌が………大門で写真を撮っていたら歩いて登って来た方に遭遇。凄いと思った。………ってコトで。

19:11:02
早めに寝たので、早く目が覚めた。しかもスッキリと。日頃の睡眠不足がたたっているのがよく分かった。
朝6時半からお勤めをした。お堂は暗くて灯明とブルーヒーターの光のみだった。修業僧が数カ所の蝋燭に火を灯して回っていた。やがて住職さんが来てお経を上げ始めた。

コレはもう歌である。

順番にお焼香をした。説法は戌年は何かを始めるのに良い年で、勤勉や努力は必ず認められる。みたいな事を言っていた。
広間で朝食を食べた。朝はあまりお腹が空かないのだが、今日は空腹を覚えた。

広間には15人しか居なかった。外国人が半分を占めているという事に驚いていると、住職さんが昨日の念珠を渡しに来てくれた。大切にお使い下さいというお言葉を噛締めつつ、受け取った。
住職さんの祈祷だけでも有り難いのに奥之院参詣に行き、念珠にさらにパワーを詰め込む。

そして目指すは奥之院である。

奥之院の参道入口で一枚撮影して

「こりゃ撮れない」

と、思った。写真を拡大すればその凄さが伝わってくると思うし、心霊が写ったら怖いそして、非常識感があるので、そこは見に行って、自分の目で確かめるのが一番だと思う。
霊域って言葉はこういう時に使うのだとしみじみ思った。鞍馬山の霊域は、修験者の聖地みたいな意味合いの霊域。ココは違う。この世とあの世の、境目っぽい何かを感じた。しかも雪が降って居て静まり返っている。自分の心や行いの汚さ、弱さ、狡さと否が応でも対峙させられる。

「ついに来たんだ」

大きな苔むした墓石。樹齢600年は超える杉の大木。そのうろの中に無数の石。小石は昔のひどくてたちが、お墓を持てない貧しい人たちが置いた物で、木の根元を掘れば、ザクザク出て来るらしい。もちろん今の参拝者も置いているかもしれない。降り積もった雪をきしっきしっと踏みしめてひたすら奥之院へ進んで行った。

そして奥之院へ到着。橋から先は撮影禁止というだけあって更に空気が違っていた。塗香を手に塗って入る。薄暗い中で護摩業が行われていた。入って突き当りが窓になっていて弘法大師の廟が見える。それを本尊としている。一度出て建物の裏に回って蝋燭と線香でお参りをした。自分は祖母に線香は三本であげるのだと教わっていて特に考えもしていなかったけれど、ここで合点がいった。奥之院の線香は三本ずつ束になっていた。また奥の院の地下には150000ほどの手のひらサイズの仏像がたくさん並んでいて、下に名前が記されている。ここに供養をお願いしたら一体いくらかかるのだろうと下世話な事が頭を過ぎった。
参道に並んでいる墓は、名だたる戦国大名から企業、果ては、シロアリに至るまでの墓や慰霊碑が並んでいた、上杉謙信の墓は屋根が桧皮葺みたいで張り替え中だった。足がすくむ程圧倒される。鳥居の後ろに屋根と丸い石の墓石。雪の高野山を、狙ったわけではないけれど、行って良かったと思いつつ奥之院を後にした。

次のブログに続く………ってことで。
11:23:35
3日目からがこのたびのテーマである。
煩悩を落とす目的があるのた。京都から電車や地下鉄バスを乗り継いで高野山へやって来た。山に近づけば近づく程雪が激しくなり、着くのかどうか不安になった。

正真正銘の聖地巡礼の旅である。

1つ目は宿坊を体験する事。


部屋には風呂もトイレも無い。決めらた時間に入浴する。冷蔵庫も無い。夕食も17時と早い。
1日目は、到着が昼過ぎで夕食時刻が決まっていたので、壇上伽藍近辺の散歩で終わった。
雪の白に朱色の塔がよく映えテンションがあがった。


なんと正月5日まで拝観料無しと早くも空海様のありがたいご加護に肖った。手のひらに塗香を塗ってお参りする。煩悩が流れ落ちるような気持ちになった。そして霊宝館であの曼荼羅を見つけた。
「般若心経伝慈六九」で用いた二枚の曼荼羅画像である。この世の理、宇宙の理を示している。どちらがそれかは分からないけれど。イラストが見つからなくて使ってみたけれど結果的に良かった。
作詞家さんは比叡山に行って歌詞のインスピレーションを得たと言っていたけど、今の自分は比叡山に登っていないので、高野山がピッタリだと思った。そのうち高野山にも登って平安仏教で習った空海と最澄をクリアしたい。

神社仏閣巡りをすると創作のインスピレーションを得られると思う。

宿に帰り早々に入浴して、明日の観光攻略を考えていると、運ばれて来たのは三重のお膳。贅沢な精進料理だった。

どれも美味しく頂いた。満腹になった。
食後布団を敷いてもらった。

テレビで見た「暖かい布団の敷き方」が実践されていた。部屋を出た廊下は室内だというのに、吐く息が白い。

金曜日限定で、念珠作りをやっていたので申し込んだ。金運が欲しい年配の男性がつけるタイガーアイは選ばなかった。石屋さんは客が選ぶ石を見てその人の悩みや望みが、わかると言っていた。普段も付けられるのは透明しかないので水晶を中心に入れた。
「浄化しか無いんですね。神仏になりたいのですね」
と言われてしまった。神仏になりたいと思っていると言われて、
「死にたいと思っているってことですか?」
と聞き返してしまった。それは違うと言われてホッとした。
煩悩を落としたいという意味では当たっているなと思った。
作った念珠は宿坊の住職に祈祷してもらい翌日受け取ることになった。
若い子たちは確かにカラフルな念珠を作っていた。
そのまま部屋に戻って眠ってしまった。
翌日の奥之院が楽しみ………ってコトで。




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Author:59ILU
鏡音リンとレンを使って曲を作っています。海外旅行に行くのも好きです。

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